勘違い


欲しい物には価値があり、
少ない物には価値がある。
価値ある物を生み出す、ということに価値が生まれる。
生み出す効率を上げることにも価値が生まれる。


「価値」は消費されなければならない。
そうでなければ「価値ある物」が「増える一方で」
結果、価値が無くなっていく。


僕たち人間を含め、全ての生き物にとって
「食べ物」という物には価値がある。
人間とそれ以外の生き物にとって、共通する「価値ある物」は
基本的にはこれだけ。
強いて言えば「安全」と「異性」くらいか。


食べ物を生産することは人間以外の生き物には難しい。
人間には、全員が十分に得ることのできるくらいに
食べ物を生産できる最強の頭脳があり
(ちなみに僕は、ここが他の生物より唯一優れている点だと思う)
余力で「それ以外≒贅沢品」を生産する。
そして、贅沢品を得たいという欲求がもともと価値の無い物に
食べ物と同等以上の価値を与える。


仮に、
[地球上で起こる、贅沢品を得たいという欲求の合計]を[贅欲]
[全人類の生産力・生産効率の合計]を[人力]
[全人類が必要とする食べ物を生産するのに必要な力の合計]を[食要力]
とした場合、
[食要力]が[人力]を超えるとお腹がすいて死んでしまう。
[贅欲]が[人力−食要力]を超えてしまうと人は不満を言う。
人間はその頭の良さを使い[人力]を上げることによって
まずはひとつ目の危険を取り除き、
そしてふたつ目を満たすことに成功した。


逆に、[人力−食要力]が、[贅欲]よりも
遥かに超えているとどうなるだろう。
人口が増えない限り[食要力]が増えることはなく、
人口が増えると[贅欲]も[人力]も同じだけ増えてしまう。
[人力]を上げずにうまく[贅欲]だけを上げるしかない。
つまり「1人アタマの欲求をむりやり増幅する」
それはもはや経済の最終段階である。
そして、現状がそれだ。


[食要力]よりも[贅欲]に頼りすぎた経済は、
遅かれ速かれ間違いなく破綻する。
そして破綻した経済は、せっかく上げてきた[人力]を下げるに至る。
仕事がまず減るだろうし、結果的に人口が減るかもしれない。


[贅欲]だけを自然に上げる方法がないわけじゃない。
[贅欲]を構成する人類のうち、
「食べ物が少ない国」に住む人々に食料を供給する、
つまり満たしきっていない[食要力]をきちんと満たすことで
その国に起こる[贅欲]の増加に期待するというものである。
しかしこれは大変に難しい。
世界レベルでのプロジェクトが必要だと思う。


ここまでちゃんと読んでくれている人がいたら
「じゃあ、がんばってもやっぱり破綻だ」
と思われるかもしれない。
物凄く緻密な取り決めをして上の方法が実現したとしても
高純度になった[贅欲]を満たせば
どっちにしろ今の形の経済は一旦そこで終わるのである。


食べ物を生産するのが今後、どんどん難しくなっていくから
[人力]が増えるスピードよりも速いスピードで
[食要力]は増えていく。
経済が破綻した上で、[贅欲]が減っていく。
そこでやっと「特殊な生き物」ではなくなる。
経済の破綻によって人類が滅びるとは思っていません。


とりあえず今日1日をせいいっぱい生きましょう。
ちなみに全部ウソです。