発明の行き着く先には


3回に渡ってお送りしてきました
「発明品と私」
ですが、そろそろ皆さん飽きてきた頃だと思うので
今回で最終回です。ちょっと志向を変えて。短く。


子供の頃は、もっと凄い21世紀を期待してたのになぁと。
そんな風に感じている人、けっこう多いんじゃないでしょうか。
僕の場合、あれから20年くらいは経ってるのに
その間、生活スタイルをがらりと変える新発明は特にありませんでした。


子供のころに夢見た未来像に匹敵するのは、携帯電話くらいですかね。
ただ、これも「発明」っていうよりは
単に科学力で無理矢理に需要を満たしただけ、つまり
携帯が無い時代に誰しもが
「電話を持ち歩けると便利だよねー」
と思うようなものを単に実現しただけという、
「発明品」と呼ぶにはくだらない代物ですし、
今後「発明品」と呼ばれる物は
ほとんど全てがその程度ではないかと思うと泣けてきます。
発明は、出尽くしたのか。
それとも、そもそも「世紀の大発明」は
文字通り1世紀に1個くらいしかないんでしょうか?


面倒くさがりだからこそ、人間文明はここまで発達したのです。
とは言いましたが、
正直、「発達」を手放しで喜んでる場合じゃないのかもしれません。
十分便利やし。今。


文明の頭打ちを感じざるをえないのです。
文明社会、文明発達主義の限界が見えてるような気がします。
科学者と商売人がグルになって
無理矢理「面倒くさいこと」を埋めて埋めて埋めまくって、
そのうち、なんにもやることがなくなって滅びる。
危ない。地球が危ない。
とりあえず、ガラスの地球を救え。
そっちが先やろ、と言いたい。
他力本願も甚だしいですが。


「道具を発明するのをやめた時に、人類は次の進化を遂げる(あだち)」
退化じゃないよ。あえて「進化」と呼びたい。
価値観とか物凄いことになってそうですが、
その頃には僕は多分いないので別にいいです。


なんか暗いなぁ。ではでは