日記と共に去りぬ


幸せって、なんだっけ。なんだっけ?
ぽんず醤油のある家さ。
さんまの家にはぽんず醤油があって、
彼の家はきっと幸せなのでしょう。


言霊というものは、確かに存在する。


「うざい」「きもい」「だるい」「嫌い」
ここらへんの「悪い言葉=NO、NOT」は得てして
口癖になってしまいがちです。
夏になったら「暑いなぁ」と口をついて出てしまうものですし、
仕事が忙しい人間は「疲れた」が口癖になります。


「疲れた」を連発していると、本当に疲れてくるのはなぜだ。
それは、僕が思うに
「深層心理」というヤツがその言葉を常に一歩離れた所で聞いていて
ソイツが(脳味噌を含む)体全体を忠実に、
そのとおりに作り変えてしまうからなのです。


思わず口にしてしまう「疲れた〜」という言葉
不思議なことに、家に一人でいる時はそんなこと言わないですし
もっと顕著な例で言えば、「痛い!」
これね。これこれ。誰もいないところでは絶対に口から出ません。
かと言って、みんないる前で何か痛いことがあった時、
「みんなが聞いている」という意識をする前に
反射的に声を出しているのも間違いないのです。


これは「他者に対するヘルプサイン」です。
人間が生き物であるがゆえにおこる、「反射」であります。
また、これらの「疲れた」「痛い」という言葉が
「物理的ヘルプ」を外に求める意味を持つように、
上に挙げた「うざい」「きもい」を発声するということは
「心のネガティブに対するケア」を他人に求めていることに
なりはしないでしょうか。
最初に言っておきますが、それが必要なタイミングも確かにありますんで
それ自体を悪いと言っているわけではありません。


「うざい」と言う言葉を発することによって、他者に
「僕の心は今、助けを求めているんだよ」というサインを出し続けると、
当然、周りの人間は「ああ、この人の心は今、マイナスなのだ」と
少なからず感じていると言えます。
そうなると、どうなるか。


人間は1人では生きていけないとはよく言いますが、
それはちょっと違います。
人間は1人では、人間ですらないのです。
あなたの人格は、あなただけのものではない。
周りがどう捕らえているかによっても、大きく人格というものが
形成され、保たれてゆくものであります。
周りの人がどう思っているか、感じているかによって
はじめて「あなたの人格」というものが「ある」。
周りの人間に「ああ、この人の心は今、マイナスなのだ」と思われると
あなたの心はマイナスに作り変わっていきます。


そう考えると、運命というやつすらも
その「口から発する言葉」によって左右されるような気がしませんか?
運命は、その人の心にあり。
まわりで起きる事象など、それに比べれば小さなことなのです。


言霊というものは、確かに存在する。
みなさん、「今日も気分がいいなぁ」と。
「俺はかっこいいなぁ」と。
良い言葉を言ってみてください。必ずそうなりますから。


コンビニで売ってそうな内容だなぁ
てゆうか、まず俺がやれ