記憶力が悪いということ


今の人類は、とある説によると
受動的で温厚な性質のアウストラロピテクス(草食)の血と
攻撃的で支配的な性質のクロマニヨン人(肉食)の血が
混ざって混ざってできているそうです。


歴史で習ったとおりならば、
クロマニヨン人アウストラロピテクスより
何段階も進化している形態でありますし、
大脳の大きさは(骨格から推測するならば)
比較にならないほど大きくなっています。


さて、大脳が大きいクロマニヨン人は、
記憶力が良くなったことによって
「恨み」と「飽きること」を身に付けました。
それが「攻撃的」で「支配的」な性質として
現れるのです。


記憶力が良い人は何をするにしてもスムーズで、つまり
「ハードウェア的に高性能である」と言えるのですが、
それはそれで彼らにも辛いところがあり、例えば
他者に何か、自分にとって不利益なことをされた時、
彼がどんな憎い顔をしていたか、
それはどういったシチュエーションだったか、
そして、その出来事に対する自分の「悪い気分」を
時間が経っても鮮明に記憶しつづけてしまいます。
それが「恨み」というもの。


僕は子供のころから、「短気だ」「すぐ怒る」と
周りの大人から言われてきたわりに
次の日にはけろっと忘れている人でした。
あいつとはゼッコウだ!いっしょうくちきかないぞ!と思っても、
次の日の朝には「なんでそんなにムカついたのか」という
肝心の部分が思い出せません。
さすがに、昨日何があったのかくらいは覚えてますが、
その時の気持ちが思い出せないのです。
今でも(クリティカルヒットでなければ)そんな感じです。


これは表面的に見れば「温厚である」と賞賛されがちな現象ですが
言い換えると「単なるバカ」でもあります。
言い換えると「大脳が小さい」であり、
結論で言うと「俺はアウストラロピテクスの末裔なのだ」となります。


別にその点についてダメだとは思っていません。
これは「記憶力が悪いこと」に対する賛美的見方のほんの一例です。


記憶力が悪いことに関して、もう一つ良いことがあります。
それは「飽きない」
何か楽しいことをする。その感情は次の日には既に薄れている。
となると、同じことをもう一回しても
記憶力が抜群に良い人より断然、楽しめることになります。
昨日カレーを食って、今日もカレー食って、でも美味い。
一生テトリスをやる仕事についても耐えられそうです。
嘘ですけど。


全ての事象には良いとこ、悪いとこの両面あり。
楽しいですね。人生。